理系陰キャの日常

非モテ、バカ、タコ、ブスの成長および哲学的な考察日記です。

悩んでる時間は無駄かもしれない

悩むことと考えることは違う

私のピアノの例で話すとする。

ピアノは0から1曲仕上げるのに莫大な時間を要されるがゆえに、高いモチベーションとその継続力が大いに要求される。曲を完成させる流れとしては、1.曲目を決め、2.楽譜を読み、3.暗譜をするという流れなのだが、私はいつもいつも1で悩み時間を浪費してしまう。普段聴いてるクラシックの種類が多く、これもモテそうだから弾きたいけどあれもいいみたいなのがあっていつも悩んでいる。しかしこんな経験があった。曲目をさっさと決めすぐ譜読みをした方がかえって進むし、完成に近づく。すなわち悩んでいたあの時間は無駄だったのである。

では考えることと何が違うのか

それは、感情移入があるかどうかだと思う。さっきのピアノの話で言うと、自分の実力を客観的に把握し、それに応じた完成日数が計算あるいは予測できればすぐに練習に取りかかれた話である。それに、どうせ時間かかるってわかってるから決めるのは早めの方がいいという思考にもなる。これには感情移入は伴っていない。がしかし、さっきの悩んでいた話ではこれ弾けたらカッコ良さそうとか、これ弾けたらモテそうとか自分の承認欲求に基づいた判断であるため感情移入が伴う。こういった場合は取り掛かるまでに要される時間が長かったため、効率は悪いと言える。

結論

ピアノ曲を早く完成させたいなら、悩む時間は無駄であったと言える。

しかし、さっき私はピアノは完成に莫大な時間を要されるため、モチベーションが必要と言った。もしもそのモチベーションが、これを弾けたらモテそうみたいな感じで「悩む」ことによって生まれるのならば、その悩みは必要であるとも言える。